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6,7月号2025.05.01発売

日本美術の決定版!「The 国宝117」

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2025.05.16

浮世絵で隅田川散歩はいかが? たばこと塩の博物館で堪能する「浮世絵でめぐる隅田川の名所」

「春のうららの隅田川」で始まる滝廉太郎の『花』を、学校で習った記憶がある方も多いのではないでしょうか。 今でも、Creepy Nutsの曲に登場したり、花火大会や観光地として親しまれたりと、隅田川の存在感は健在です。 たばこと塩の博物館で開催中の「浮世絵でめぐる隅田川の名所」展では、そんな隅田川の名所を描いた浮世絵を前期・後期あわせて約150点展示。 当時の状況や背景が解説され、江戸の人々が楽しんだ隅田川の魅力を感じることができます。 浮世絵で、隅田川散歩に出かけてみませんか?

隅田川流域が観光地として賑わうようになったのは、いつからなのでしょう? どんな人たちがここで暮らしていたのでしょう?
たばこと塩の博物館で開催中の「浮世絵でめぐる隅田川の名所」展では、そうした疑問に答えるように、浮世絵を通して隅田川と人びとの関わりを紐解いています。
名所や風物詩、庶民の遊びや暮らしなど、今もその風景の一部が残る“江戸の隅田川”を、早速見ていきましょう!

江戸の隅田川と名所

隅田川は荒川の下流分流で、東京都北区から東京湾へ続いています。平安時代に書かれた『伊勢物語』で主人公が「名にしおはば いざ言問はん都鳥(みやこどり) わが思ふ人はありやなしやと(都という名を持つのならば、都鳥よ、お前に聞こう、都にいる私の大切な人は元気だろうか)」と詠んだ舞台はこの隅田川で、業平橋(なりひらばし)や言問橋(ことといばし)の名前の由来も、この『伊勢物語』。現在でも都鳥=ユリカモメがこのあたりではよく見られ、東京都の鳥にも指定されています。

「浮世絵でめぐる隅田川の名所」展の展示室には、隅田川の河岸を描いた大迫力の作品が! このあたりではこんな出来事があって、ここではこうした物語が生み出されて。取材時にそんなお話をうかがいながら眺めていると、江戸時代にタイムスリップしたような気分になりました。

展示上部・鶴岡蘆水『東都隅田川 両岸一覧 東』/下部・葛飾北斎『隅田川両岸一覧』※いずれも通期展示
北斎の構成力はやっぱりすごいですね! と学芸員さんたちも興奮していました!

隅田川は浮世絵に多く描かれ、江戸名所が描かれたシリーズには必ず隅田川が入っているそう。中には隅田川周辺のみをテーマとしたものもあり、隅田川が「絵になる川」だったことがよく分かります。
「隅田川は大きな川ですから、舟による運輸の拠点がいくつもありました。今でも船着場があって屋形船なども観光の目玉になっていますが、江戸時代は今以上に舟で賑わっていたんだと思います」と、展示担当の主任学芸員・湯浅淑子さん。

浮世絵を見てみると、たしかに渡し舟と輸送船がいくつも描かれています。「隅田川を渡る手段として、橋だけでなく、渡し舟も利用されていました。対岸にいる舟に乗りたいときには、おーい! と呼ぶと、舟がこちらに向かって来る、というシステムです。川を横切る渡し舟と川を上り下りする輸送船がぶつかってしまったりしなかったのかな? なんて思うんですが、そこはうまくやっていたんでしょうね」。
滝廉太郎の『花』にも「上り下りの舟人が 櫂の雫も花と散る」とうたわれています。隅田川に舟が浮かぶ光景は、江戸時代も今も変わらず名物だったのでしょう。

上・鶴岡蘆水『東都隅田川 両岸一覧 東』部分 /下・葛飾北斎『隅田川両岸一覧』部分 ※展示風景

隅田川を下流から上流に遡(さかのぼ)りながら、浮世絵に描かれた名所を紹介するコーナーもあります。では、「絵になる川」隅田川は、どんな風に描かれたのでしょう? ダイジェストでご紹介いたします!

梅若伝説の地、木母寺(もくぼじ)
少将・吉田惟房(よしだ これふさ)の子、梅若丸が人買いにさらわれ、この地で病死したのを弔うために建てられたと伝わる、平安時代から続く天台宗の古寺です。古くは梅若寺(ばいじゃくじ)、また、将軍休息所となったことから「隅田川御殿」とも呼ばれていました。

楊斎延一『四季の詠 隅田の梅若』※後期展示(5/27~6/22)

観世元雅が能『隅田川』で取り上げて以来、多くの作品の題材となっており、毎年4月15日には「梅若忌」が行われています。(※能『隅田川』については後述)

桜の名所! 墨堤(ぼくてい)
木母寺から三囲稲荷まで続く桜並木。今でも桜の名所として知られ、毎年墨堤さくらまつりが開催されています。

渓斎英泉『隅田堤桜盛』※前期展示(~5/25)

八代将軍徳川吉宗の命により享保年間(1716~1736)に誕生したこのお花見スポットは、江戸の中心地から比較的近いけれど郊外の雰囲気を味わえる、と江戸の人びとにとても喜ばれました。夜桜も人気だったよう。

360本の梅と秋の七草! 百花園(ひゃっかえん)
文化年間(1804~1818年)に佐原鞠塢(さはら きくう)によって開かれた植物園で、360本の梅が植えられたことから、亀戸の梅屋敷にちなんで「新梅屋敷」と呼ばれました。

歌川国貞(三代豊国)『江戸八景 花やしき 秋月』※後期展示(5/27~6/22)

やがて秋の七草をはじめ、四季の花の名所としても知られるようになり、「花屋敷」「百花園」として将軍や文人にも愛され多くの浮世絵に描かれました。

水戸光圀公が命名した梅の名木がある! 梅屋敷(うめやしき)
川沿いからは少し離れるのですが、亀戸天神の近くにある梅園・清香庵(せいこうあん:俗称 梅屋敷)も隅田川流域の名所の1つ。浮世絵にも多く描かれた名木「臥龍梅(がりゅうばい)」の名は、水戸藩二代藩主・徳川(水戸)光圀公が名付けたと伝わります。

渓斎英泉『江戸名所尽 梅屋舗臥龍楳開花ノ図』※前期展示(~5/25)

園内には臥龍梅のほかにも300本ほどの梅の樹があったといい、梅の花の季節には多くの見物客が詰めかけました。

江戸時代のスカイツリー的存在? 三囲稲荷(みめぐりいなり)
実は江戸時代にも「スカイツリー的存在」が隅田川沿いにありました。それが、三囲稲荷の鳥居。

歌川国貞(三代豊国)『三囲の夜雪』※後期展示(5/27~6/22)

隅田川から見ると、墨堤から鳥居の笠木部分のみが覗き、隅田川のランドマーク的存在としてたびたび浮世絵の題材になりました。

ここまでは隅田川の東岸。吾妻橋(あずまばし)を渡った西岸には、国内外から大注目を集め続けている、あのお寺があります。

言わずと知れた観光名所、浅草寺(せんそうじ)
日本の観光地ランキング上位に必ず入ってくる、浅草。浅草寺の門前町として、下町情緒あふれる独特の魅力を放ち続けています。

浅草寺の歴史は非常に古く、推古36(628)年、隅田川で漁をしていた兄弟が川の中から聖観音菩薩像を引き上げたことに始まります。兄弟から仏像を見せられた土地の役人は、自宅を寺にし、その後に観音堂が建立されて、浅草寺となりました。
浅草寺と隅田川の繋がりは江戸の人びとにもよく知られており、かつては三社祭の御神輿渡御も、舟で隅田川を進む部分があったそうです。

歌川広重『東都旧跡尽 浅草金龍山 観世音由来』※通期展示

本堂裏の一帯に、四季折々の花を植えた「花屋敷」が植木屋森田六三郎によって完成したのは嘉永6(1853)年のこと。明治中期に遊園地に変わって夏目漱石の『吾輩は猫である』にも登場し、日本最古の遊園地「浅草花やしき」として今なお愛されています。

大相撲の聖地! 両国
明暦3(1657)年、江戸市街の大部分を焼いた江戸時代最大の火事、「明暦の大火(めいれきのたいか)」が起こります。当時、隅田川には千住大橋しか橋が架けられておらず、多くの人が川を越えることができずに犠牲となりました。
これを教訓に、新たな橋が架けられることとなり、隅田川の西の吉川町と東の本所元町を繋ぐ「両国橋」が誕生しました。

歌川広重『東都名所 両国花火之図』※後期展示(5/27~6/22)

橋の両側には火除け地が設けられ、仮設の見世物小屋や茶屋が立ち並ぶ盛り場となりました。

現在ではJR両国駅の目の前に国技館が建ち、大相撲の聖地として知られています。また、平成29(2017)年に日本刀専門施設の「刀剣博物館」も国技館の近くに移転、新たな隅田川沿いの観光スポットとなっています。

隅田川と江戸の文化

江戸の人びとに広く親しまれてきた隅田川。ここからは、とっておきエピソードをご紹介いたします!

多くの有名人が愛した隅田川

隅田川は、江戸時代から多くの有名人に愛されてきました。幕臣で狂歌師の大田南畝(おおたなんぽ)は、よく隅田川で遊んでいたとか。
浮世絵師の葛飾北斎(かつしかほくさい)、戯作者の鶴屋南北(つるやなんぼく)らも隅田川の近くに居を構え、浮世絵や物語の舞台に選んでいます。

「作家の芥川龍之介も、東京のにおいは自分にとっては大川(隅田川)のにおいである、と書いています。今はコンクリートで護岸されていますが、それ以前は土手などの匂いも含めて隅田川というのは愛されていたのですね」。目を細めながらそう話す湯浅さんの隅田川愛も、なかなかのもの?

今の隅田川も、独特の匂いが漂ってくるような。

江戸時代の向島には歌舞伎役者の別邸も多くあったといい、ちょっとしたバカンスを楽しむ(?)役者の浮世絵も展示されています。

「あれ? くっきり二重?」と役者絵に釘付けなカメラマン。「あ、今の歌舞伎役者さんに目元が似てる!」とはしゃぐ編集部スタッフたち。案外、江戸時代も今も、同じ楽しみ方をしているのかも? 二代歌川豊国『船中雪見図』※前期展示(~5/25)

歌舞伎や人形浄瑠璃・能と隅田川

『三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)』をはじめ、現在でも人気の高い歌舞伎演目の舞台となっている隅田川。名ぜりふ「月もおぼろに白魚の~」も、隅田川でのシーンです。ちなみに、白魚は今では見られないものの、大正時代までは実際に隅田川に生息していたそう。

歌舞伎や人形浄瑠璃には「隅田川物(すみだがわもの)」と呼ばれるジャンルがありますが、これは能『隅田川』が原点となった作品群です。
室町時代に能楽を大成した世阿弥(ぜあみ)の子にあたる観世元雅(かんぜもとまさ)によって作られた能『隅田川』の舞台となったのが、題名どおり隅田川。息子を人買いにさらわれた母が隅田川のほとりにたどり着き、事情を聞いて同情した渡し舟の船頭が、さらわれた息子・梅若丸の墓へ案内するという物語です。イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンは1956年の来日の際にこの能を鑑賞して感動し、オペラ『カーリュー・リバー』を書きました。能『隅田川』には、ユリカモメを見て『伊勢物語』を思い出すシーンもあり、平安、室町、江戸、そして現在まで、隅田川が人びとの中に脈々と息づいていることを感じさせます。

蔦重も見ていたかも? 吉原と隅田川

2025年の大河ドラマ『べらぼう』の舞台になっている吉原とも、隅田川は深い関連があります。

吉原へ行き来する手段の1つに舟がありましたが、その舟が通っていたのが隅田川。

首尾の松が描かれた浮世絵。葛飾北斎『隅田川両岸一覧』一部

「首尾の松」と呼ばれる大きな松が、かつて隅田川に面する幕府の米蔵の四番堀と五番堀の間にありました。これは、吉原帰りの舟に乗った人に、ここで遊びの首尾をたずねたことから名付けられたといい、浮世絵にもしっかり描かれています。蔦重やその関係者も、隅田川を眺めながら暮らしていたのかもしれませんね。

明治38年~大正2年の頃の絵はがき(生田誠氏提供)。この首尾の松が生えていた土地に、明治38年、専売局の第三工場ができました。そして、現在のたばこと塩の博物館の近所でもあります! ※本展覧会での展示なし

また、吉原が火事などの被害を蒙ったときには、隅田川の料亭が吉原仮宅になりました。

歌川富信(国富)『今戸橋金波楼 大黒屋仮宅向島三囲遠見之景図』※後期展示(5/27~6/22)
三囲稲荷の鳥居が、左上の対岸に描かれています!

葛飾北斎『隅田川両岸一覧』にも吉原が描かれています。通期展示ですので、ぜひ探してみましょう!

一大スキャンダル! 小倉庵事件

隅田川の周辺には、有名な料亭や茶屋が立ち並んでいました。参拝客を集めるためや、花見スポットや見世物小屋・茶屋を作って観光地として盛り上げていたといいますが、江戸の名店番付上位に何軒も掲載されるなど、活気に満ちていました。

しかし、料亭番付の上位に君臨し、浮世絵や随筆などにもたびたび登場していた小梅の「小倉庵(おぐらあん)」に、慶応元(1865)年、激震が走ります。

役者と料亭を取り合わせた『当ル申の顔見世 江戸料理茶屋三十六家撰見立評判記』(作者不詳)※通期展示。小倉庵は、当時非常に人気のあった中村福助と組み合わせています

小倉庵は「萩の露」という汁粉が評判の名店でしたが、店主の息子が、幕臣・青木弥太郎とともに強盗事件を数件起こし、捕縛されました。有名料亭の身内が起こしたこの事件は人びとの話題になり、随筆や回顧録、『小倉山青樹栄 昔日親話(おぐらやまあおきのさかえ せきじつしんわ)』『絶世拷問雲霧阿辰青樹廼夕栄(むるいのごうもんくもきりおたつあおきのゆうばえ)』といった小説になり、さらに『聖世徳大赦恩典(みよのとくたいしゃのおんてん)』という歌舞伎にもなりました。

泉竜亭是正作、歌川房種画『小倉山青樹栄 昔日新話』※通期展示

ただ、事件を起こした1人である幕臣の青木弥太郎は不思議と人を惹きつける力があったのか、かの勝海舟がわざわざ会いに行ったという記録も残されているのだそう。

クイズ! 江戸時代の夜桜見物、どうやっていた?

ここでちょっとひと休み。突然ですが、浮世絵から見る江戸クイズ!
今の時代、夜桜はLEDなどでライトアップされていますが、江戸時代はどのように見ていたでしょう?
答えは、後期展示(5/27~6/22)の展示作品に描かれています!

一恵斎芳幾『隅田川の夜桜』※後期展示(5/27~6/22)
答えの1つが、この浮世絵の中にあります。どこに何があるか、探してみましょう!

たび重なる水害、火災……力強く立ち上がる江戸の人びと

隅田川は、実は水害や火災といった災害と隣り合わせの土地でもありました。

隅田川の水害は、江戸時代初期に徳川家康が瀬替えなどの治水工事を行ったものの、明治時代に入ってからも続いていました。明治43(1910)年の記録写真には、一階部分がまるごと水没してしまった建物も。
「明治時代になると、水害を描いた浮世絵が登場します。江戸時代までと、浮世絵の役割が変わったことが見て取れます」と湯浅さん。

四代歌川国政『隅田川燈籠流涼之真景』※前期展示(~5/25) 明治11(1878)年の作。隅田川の水の事故で亡くなった人びとの供養のため、7月の間毎夜、都鳥の形の燈籠が流されました

でも、どうして江戸時代以前にはそうしたことが描かれてこなかったのでしょう?
「江戸時代の浮世絵は楽しんでもらうための売り物という側面が大きいですから、楽しいきらきらしたモチーフだけが描かれたのでしょう。明治時代には写真などが広まってきたこともあり、それだけではない意味を持ち始めたというのが、こうした資料から分かります」。

ただ、そうした災害があったからこその光景も、少なからずあるのだとか。
隅田川河岸が賑わったのは、江戸を火の海にした「明暦の大火」の後、橋の両側に設けられた「火除け地」に仮掛けの見世物小屋や茶屋が立ち並んだことが一因となっています。
桜並木は、徳川吉宗の時代に水害対策の一環として植えられたもの、という俗説もあります。
浮世絵に描かれる水害供養の灯篭流しも、見物客で大いに賑わいを見せました。

災害にめげず、力強く立ち上がった江戸の人びとの姿が目に浮かぶようです。

歌川広重『東都名所図会 隅田川渡しの図』※後期展示(5/27~6/22)

「明治時代の浮世絵で個人的に印象深いのは、怒った警官が描かれている作品です。江戸の人たちがその光景をどんな風に受け止めていたのか、伝わってくるようですよね」と湯浅さんは笑います。

三代歌川広重『東京開華名所図絵之内 隅田堤より真乳山を望』※前期展示(~5/25)

浮世絵が単なる「見て楽しむだけのもの」ではなく、時代や風俗・世情を映す存在だったこと、そして隅田川が「絵になる川」、今でいう「映えスポット」だったことも、この展示で楽しく学ぶことができました!

たばこと塩の博物館「浮世絵でめぐる隅田川の名所」展を見学したら、隅田川散歩を♪

たばこと塩の博物館は、とうきょうスカイツリー駅から徒歩10分ほど。
「たばこ」と「塩」の歴史と文化をテーマとする博物館で、たばこと塩を中心としつつ、幅広いテーマを取り上げ、多彩な特別展を開催しています。

たばこと塩の博物館外観 / エントランスには、大きな岩塩の彫刻が。

現在開催中の「浮世絵でめぐる隅田川の名所」展は、周辺の寺社、花名所、料亭など、浮世絵に描かれた隅田川の名所を3つのコーナーで構成し、前後期合わせて約150点の浮世絵を展示、当時の状況や描かれた背景なども折り込みながら、江戸の人々が楽しんだ隅田川の魅力を紹介しています。

展示風景

5月25日(日)までの前期展示では、歌川豊国『江戸両国すずみの図 五枚つづき』がイチオシ! 大迫力で、見ごたえ充分!

5月27日(火)から始まる後期展示では、渓斎英泉(けいさいえいせん)『江戸八景 隅田川の落雁』がイチオシ! 当時の隅田川の雰囲気がよく描かれています。

1階の売店では、複製浮世絵を購入することもできます!

展示を見た後は、ぜひ、のんびり隅田川散歩へ。

編集部スタッフたちのように、目的地と反対方向に歩き始めてしまっても大丈夫! 東京スカイツリーが目印になってくれるので、すぐに気づいて引き返すことができます(取材時は、カメラマンが方向音痴ズを引き戻してくれました!)

とはいえ、スカイツリーは大きすぎて、目の前にあるのに逆に気づかなったなあ、なんて感想も。

浮世絵に描かれた光景と、同じところはある? どう違う?
隅田川沿いをてくてく散歩するもよし、電車や車・自転車などを使いながら観光スポットを巡るもよし。きっと、今までと違った光景が見えてくるはずです。

たばこと塩の博物館「浮世絵でめぐる隅田川の名所」展 開催概要

名称:「浮世絵でめぐる隅田川の名所」
会期:2025年4月26日(土)~6月22日(日) 前期・4月26日(土)~5月25日(日)、後期・5月27日(火)~6月22日(日)
会場:たばこと塩の博物館 2階特別展示室
所在地:東京都墨田区横川1-16-3
開館時間:午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日
入館料:大人・大学生300円、小・中・高校生、満65歳以上の方100円
公式サイト:https://www.tabashio.jp
※前期・後期で展示に大幅な入れ替えがあります。

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和樂web編集部


取材協力:たばこと塩の博物館 撮影:今井裕治 参考文献: ・『日本国語大辞典』小学館 ・『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館 ・『デジタル大辞泉』小学館 ・『世界大百科事典』平凡社 ・『国史大辞典』吉川弘文館
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